2016年12月19日

『負の世界で勁く生きる女性像 大原富江文学館を訪ねて』

もうすぐクリスマス。我が家の玄関にはサンタがアマゾンで買った1メートル60センチのサンドバッグの箱がそびえ立っていますが、もらう本人はクリスマス前に来るなんて思ってもないのでまるで気がついてません。いつサンタの招待に気がつくかな…そして新婦人しんぶんは今週が1月1日合併号で今年はこれが最後です。来年もよろしくお願いします。

今週の新婦人しんぶん☆勝手にピックアップ☆1月1日号

『負の世界で勁く生きる女性像 大原富江文学館を訪ねて』

 負の人生を生きた女性の生涯を描くことにこだわり、重厚な筆致で独特な文学世界を展開してきた大原富江(1912~2000年)。新婦人中央本部は1970年代の新婦人しんぶんの連載小説『めぐりあい』の自筆原稿を、このほど高知県本山町の大原富江文学館に寄贈しました。同館を、町の元職員で自治労連副中央執行委員長、新婦人会員の松繁美和さんが訪ねました。

 大原富江文が生まれ育った本山町は、吉野川の上流域にあり、面積の9割を森林が占め、人口約3500人の町です。本山町立大原富江文学館は小春空に映える白亜の洋館、旧本山簡易裁判所を改修したモダンな洋風建築です。富江の文学を後世に伝えようと町が1991年に開館。遺品の多くが寄贈され、生涯の歩みと作品をたどることができます。

 『婉という女』(1960年)は当時の文学界に衝撃を与え、映画化され何ヵ国語にも翻訳されました。実在の人物をモデルに、土佐藩の家老であった野中兼山が失脚し、遺族の幽閉が40年にも及ぶなか、四女の婉が体の中に潜む女の性と確執をへて自立していく姿が描かれています。この作品の常設コーナーでは、兼山が県下各地で成し遂げた偉大な土木事業と、幽閉された宿毛の地などを紹介。若き日の富江が、高知県立文学館に所蔵された婉の自筆の手紙を書き写すなど、何年もかけ執念をもって調べ上げたことが伝わります。

 土佐の女性をモデルにした『於雪―土佐一条家の崩壊』(1970年)をはじめ、和泉式部や女性歌人の生涯を描いた小説などを相次いで発表。その作品は徹底した取材で事実に基づいたものが多く、自身が若くして結核を患い、10年近い療養生活を余儀なくされたことや出征する男性との失恋など、自伝的な要素が含まれています。病身のまま、太平洋戦争が始まろうとするなか、29歳で単身上京を決意。「書くことは生きること」との言葉を残していますが、自分の負の部分に対する決別として、「書くこと」によって自分の将来を見出そうとしたのではないかと思います。

 『めぐりあい』(新婦人しんぶん連載時の「邂逅」を改題)は、大原富江全集(全8巻・小沢書店)には未収録ですが最下層に生きる女性への関心が貫かれた力作です。B級戦犯として巣鴨プリズンに留置された元日本軍少尉と、看護婦の資格が取れるとだまされて南方まで連れて行かれた旧日本軍慰安婦、貧しさから子どもの頃より身売りされた女性などをめぐり、戦後10年頃の状況が描かれています。戦争に翻弄される貧困層の惨めさと、戦争責任がどこにあるのかを問う内容で、「戦争法」が成立した今に通じるものがあります。

 新婦人が寄贈した生原稿に、同館職員の大石美香さんは「よい状態で保存されており、本当にありがたい」と述べ、大原富江の作品に貫かれているのは「負の世界で勁く生きる女性の姿であり、人間の功徳が書かれている」と。本山町教育長の澤田和久さんは「貴重な資料を寄贈いただいた。今後、公開するなど活用方法を検討していく」と話されました。

 87歳で同郷の牧野富太郎の生涯を描いた『草を褥に』(2000年に雑誌連載)が絶筆に。ひたむきに書き続けた人生の奥深くに、ふるさとへの思いがあったことが作品からうかがえます。登場人物の言葉をかすかな訛りの残る土佐弁にするなど。全集に収録された「新婦人しんぶん」に書いた随想にも、幼いころ過ごした故郷の自然を思い起こしたものがあります。

 敷地内に設置された茶席「安履庵」は町民にも開放され、開館と同時に創設された文学賞「大原富江賞」には、県出身者をふくめてこれまで7000作品を超える応募があり、文学に対する思いは受け継がれているようです。大原文学をもっとたくさんの人に、とりわけ「生きること」「自立」に向き合う女性たちにこそふれてほしいとの思いをつよくしました。