2015年06月29日

『生かされてきた私 核兵器がなくなるのを見届ける』

また今年も暑い夏が近づいてきました。今年の夏は、安倍政権が集団的自衛権などの戦争法案を押し通そうとしています。かつてその身を焼かれた戦争体験者や遺族のみなさんは、じりじりと再びわが身を焼かれる思いなのではないでしょうか。戦争法案絶対に反対です。

今週の新婦人しんぶん☆勝手にピックアップ☆7月2日号

『生かされてきた私 核兵器がなくなるのを見届ける 日本原水爆被害者団体協議会代表委員 谷口稜曄さん』

 「赤い背中」の少年の写真で知られる長崎の被爆者、谷口稜曄さん(86)。奇跡的に一命を取り留め、国連をはじめ海外で自らの被爆体験を訴えています。NPT・ニューヨーク行動に参加した、Kさん(34)と尋ねました。

 「16歳のとき、郵便配達中に爆心地から1.8キロメートルのところで、背後から熱線を浴びせられました」

 4月、ニューヨークでNPT(核不拡散条約)再検討会議を前に、NGOが開いた国際平和地球会議の開会セレモニーで谷口稜曄さんは、こう語りかけました。

 「背中は一面のやけどで座ることも横になることもできず。腹ばいのまま『殺してくれ』と叫んでいました。そのときの写真がこの『赤い背中』です。私が助かると思った人はいなくて、医者や看護婦さんが病室を覗いては『今日も生きてる』『今日も生きてる』とささやくのが聞こえてきました」と、パネルを掲げて証言しました。

 稜曄さんのお話に会場のみんなが聞き入りました。「稜曄さんは山口仙二さんとならんで長崎の平和の象徴です。4月のニューヨークはとても寒かったけれど、若い私にはとてもまねができないほどがんばっておられました」とKさん。続いて開かれたNPT再検討会議は‶被爆者の警告に耳を傾けよ”との潘基文国連事務総長の言葉から始まり、文書素案に初めて核兵器禁止条約が、盛り込まれるなど大きな変化が生まれています。

 稜曄さんら被爆者の証言や国連各国政府の行動、市民社会の運動によって、核兵器の非人道性の告発と認識が急速に広がり、被爆70年を核兵器廃絶への転機にとの流れは押しとどめられないものとなっています。

 「核兵器がこの世からなくなるのを見届けなければ安心して死ねません。次のNPT再検討会議(2020年)には行けるかどうかわかりませんから、今年を最後と思って訴えました。私が一番腹が立つのは、唯一の被爆国である日本政府がアメリカの片棒をかついで」、核兵器廃絶を真剣に取り組んでいないことです。初めから運動してきた者として腹立だしい」と稜曄さんは振り絞るように話します。

 原爆に焼かれた背中は普通の火傷と違って、焼けて腐って流されてしまい汗腺がなく、汗をかくことができないので暑い夏は苦しく、冬の寒さから身を守る皮下脂肪もありません。皮膚は乾燥するとダムの水がなくなったようにひび割れし、割れてくると痛く、70年たったいまも稜曄さんを苦しめています。

 「新婚旅行から帰った日からずっと2,3日おきに妻が薬をつけてくれています。たくさんつけても気持ち悪いし、少しだと痛むしね」と、なにより妻栄子さんのささえがあったからこそ運動を続けられたといいます。

 稜曄さんが自分の「赤い背中」の写真を見たのは、被爆から25年もたったときのことです。朝日新聞の記者が掲載された新聞を持ってきたのです。「1年9カ月うつぶせのままでした。床ずれで皮下組織まで腐った胸は、骨の一部が露出して心臓の動くのが見えるほどでした」。これまで14回入院し、24回手術を繰り返してきたという稜曄さんは、昨年7月には肺炎を起こし、以来酸素吸入を続けています。移動する車の中や事務所、家にも酸素ボンベを常備しているといいます。

 「それでも体験を話し続けてこられたエネルギーはどこからくるのですか」とKさん。

 「私は生かされてきたと思っています。世に出た『赤い背中』の写真は、原爆の恐ろしさや残忍さを伝えるだけにとどまらず、私の人生を大きく変えました。私自身は先頭に立つ器じゃないのです。復職して郵便局の仕事をしながら、合い間をぬって運動をしてきました」

 運動を始めたきっかけは1955年の第1回原水爆禁止世界大会に参加した山口仙二さん(長崎被災協元会長)から誘われたことでした。「自分を苦しめる原爆に反対するためなら」と応じました。仙二さんは、被爆直後に収容された大村海軍病院で、寝たきりの稜曄さんを見て知っていました。

 当時アメリカは、GHQ(連合国軍事総司令部)統治下の1945~52年まで、原爆に関する報道を制限するなど厳しい報道規制(プレスコード)を敷いていました。原爆使用の非人道性を国際的に知られるのを恐れたからです。そうしたなか、病気ややけどなどを負い、生きるのにやっとの被爆者がみずから人として許せない非道を告発し、声をあげたのです。

 被爆体験を最初に語ったのは、長崎原爆乙女の会の女性たちでした。ケロイドや闘病生活から、気兼ねしたり恋愛・結婚生活など人には言えない悩みを打ち明け合うなかから原爆便りを発行。その後、山口さんが呼びかけて「長崎原爆青年の会」が結成され、「長崎原爆青年乙女の会」へと発展しました。

 さらに「ふたたび被爆者をつくるな」を合言葉に、核兵器をなくせ、原爆被害への国家補償を、と世界大会に参加した被爆者たちは、各地で連帯していったのです。

 稜曄さんは安倍政権にも怒りの気持ちを口にしました。

 「憲法には、再び戦争はしない、軍備は持たないとあります」。安倍政権になって自衛隊を外国に派遣する、さらに「憲法を変えようとしている。彼は人間とは思えません。”初めから運動してきた者として、日本政府が被爆国として被爆の実相伝えていたならば、と悔やまれてなりません。何故もっと早くポツダム宣言を受諾しなかったか原爆投下はなかったかもしれない。アメリカに言われて勝手に被爆者への賠償を放棄する…国民を無視ばかりしてきたのです」

 新婦人は、今夏の原水爆禁止世界大会を2000人の参加で成功させようと呼びかけています。稜曄さんも初めて広島での世界大会で証言する予定です。

 「核兵器は人類と共存できません。私が歩んできたようなこんな苦しみは、もう私たちだけでたくさんです。人間が人間として生きてゆくためには、地球上に1発たりとも核兵器を残してはなりません。私は核兵器がこの世からなくなるのを見届けなければ安心して死ねません」

 この日お話を聞いたKさんは10歳と7歳の女の子のお母さんです。

 「谷口さんの熱い思いに間近で触れることができ、改めて、私たちの運動の原点は被爆者の声にあると感じました。いまのような情勢だからこそ、被爆者の声は力を持つと思います。核兵器も戦争もない、命が輝く社会をまもり、子どもたちにバトンを渡していくこと。それが、母親である私の責任です」

 

   


Posted by つむたい at 23:38Comments(0)

2015年06月22日

『貧困ひろげて“輝ける”!?派遣法改悪 衆院強行に抗議 参院でかならず廃案に!』

女性たちの怒りのレッドアクションが各地で広まっています。豊橋支部でも20日土曜日に駅前のペデストリアンデッキで行いました。赤い波が国会に届きますように。

今週の新婦人しんぶん☆勝手にピックアップ☆6月25日号

『貧困ひろげて“輝ける”!?派遣法改悪 衆院強行に抗議 参院でかならず廃案に!』

 あらゆる女性の差別をなくすために日本政府が「女性差別撤廃条約」を批准して30年。「自分らしく自立して生きたい」「女性差別をなくしたい」との願いが高まる一方、女性たちの貧困が大きな社会問題になっています。国際的な指標「男女平等度」を142カ国中、104位までに引き下げている大きな要因が、雇用状況の悪化です。いま女性たちがたたかいに立ち上がっています。

 「ボーナスもなく、15年働いてきましたが、1円の退職金もなく3年後にお払い箱にされようとしている。私はモノじゃない!自民、公明、派遣先、派遣元は、これ以上私の人生をないがしろにするな!」(派遣で働く女性 56歳)。

 9日に開かれた労働弁護団の「派遣法改正『採決反対』緊急集会」には、派遣法改悪案の中身をツイッターで知ってかけつけた女性たちの怒りの声であふれました。派遣労働者17人がずらりと並び、「減り続ける年金と私の給与で母と二人暮らし。派遣切りされたらどう生きていけばいいのか」「シングルマザーです。いつ切られるか不安で、土日も住宅展示場で働き始めた」など切実な訴えが次つぎ。

 安倍政権は‶女性が輝く”戦略を宣伝しながら、三たび国会に提出された改悪案は、部署や人を変えれば派遣を永遠に使い回せ、期間限定のなかった秘書など専門26業務の区分を廃止し‶いつでもクビ切りできる”、企業にとってどこまでも都合のよい内容です。強行採決は絶対に許さないとの思いが一つになりました。

 派遣などの非正規はこの30年に3倍に増え、非正規率は3割から6割へと上昇しています。

 日本が女性差別撤廃条約を批准するにあたって、1985年に雇用機会均等法とセットで制定されたのが労働者派遣法。‶人貸し業”として長く職業安定法で禁止されていた派遣労働が解禁されたのです。

 専門業務に限定されていた派遣を96年、99年の相次ぐ改悪で原則自由化し、さらに97年には女性の深夜業などの規制をなくす労働基準法の改悪がされるなど、歴代自民党は経済界の言うままに、雇用破壊をつづけてきました。

 この結果、女性の賃金は男性の半分に過ぎず、女性労働者の43.7%が自立して生きることが困難な年収200万円以下のワーキングプアです。

 条約の締約国は、差別解消のためにとった措置について定期的に国連女性差別撤廃委員会に報告します。来春は、その日本政府の第7.8次報告が審議されます。

 前回、2009年の審議では、女性差別解消鵜に向けた日本政府の取り組みが進んでないことを厳しく批判し、改善を求める48項目の勧告がだされました。とりわけすぐに実施すべきだと追加報告が求められた一つが、雇用の遅れに対する対策でした。

 安倍政権は、勧告に耳を貸さないどころか、「女性活躍」成長戦略で打ち出すのは、さらなる労働者派遣法の改悪や、8時間労働制を壊す「残業代0制度」の導入など逆行するものばかりです。正社員や管理職の‶輝く女性”は、男性並みの長時間労働をするごく一部で、大多数の女性は非正規や、解雇しやすい「限定正社員」として安く使おうという、女性の願いとはかけはなれた内容です。

 女性差別撤廃条約は、子育ては「男女及び社会全体が共に責任を負うことが必要である」と明記し、その条件の整備を締約国に課しています。

 ところが、保育所は待機児があふれ、異常な長時間労働も一向に改善されないばかりか、労働者を人間扱いしない企業のブラック化が社会問題に。子育て、家庭との両立どころか、結婚、出産さえできない状況が広がっています。

 山田恵子さん(仮名=39)は、独身時代は正規で働いてきましたが、深夜までの残業で体を壊し、27歳で結婚してからは派遣会社に登録。長いところで数年、3か月、半年と11の職場を転々としてきたと言います。

 「35歳で子どもを産んだ時は、産休も育休もなく、産後、ハローワークに通い自力で職場復帰しました。それでも、時給は1000円台後半から一気に850円に。いまの派遣先では、契約途中に『今月末に契約終了』といきなり言われ、労働署に相談中です。安倍さんが‶女性が輝く”などと言うたびに怒りでいっぱいになります」。

 日本は、働く子育て女性の賃金が男性の39%と、OECD(経済協力開発機構)30ヵ国の中で最悪です。働く女性の6割が妊娠・出産を機に退職する中断型の雇用が強いられ、いったん退職すると非正規へと追いやられることが、子育て女性の賃金を異様に低める原因になっています。

 妊娠したら嫌がらせを受けるマタニティハラスメントや「産休切り」「育休切り」も後を絶ちません。

 6月16日、日本国空の客室乗務員女性が、妊娠中、体に負担の少ない地上勤務を申し出たところ一方的に休職を命じられた問題で、東京地裁に提訴しました。マタハラ裁判です。無法うなクビ切りをし、18日、東京高裁判決で不当労働行為と断罪された日本航空が、さらにこのような世界では通用しない女性差別をすることは許されません。

 社会保障の相次ぐ改悪、生活保護、児童扶養手当等の給付削減と消費税増税の強行が、単身女性、母子家庭、障害者、無年金・低賃金の高齢女性の貧困を深刻にしてきました。

 男女が共に人間らしく生きられる社会を築くためには、不安定な細切れ雇用、長時間労働を見直し、良質な雇用と社会保障の両面から生活を安定させることが不可欠です。正規があたりまえの社会への転換を求めるたたかいや、年金引下げ許さず、保育、介護の拡充を求めるたたかいなど多彩な取り組みがおこっています。「平和なくして平等なし」と、戦争法案を廃案に追い込むたたかいなど、30年の今年、エンパワーメントした女性たちが安倍政権の暴走を許さないたたかいでその真価を発揮しています。  


2015年06月21日

女性の怒りのレッドアクション





6月20日豊橋駅のペデストリアンデッキで赤いものを身に着けて女性の怒りのレッドアクションを行いました。参加者14名

戦争法案反対の署名を集めても、「私には関係ない」足早に通りすぎていく人…

それでも訴えを続けていくと、若い人を中心に足を止めて署名してくれる人がだんだん増えていきました。

「なんで、この署名用紙真っ白なの!日本人なら署名しにゃいかんじゃん!」と怒ってくれる人もいて、やっぱり訴えて良かったと思いました。

確かに、集団的自衛権が成立しても、明日すぐに戦争に巻き込まれることはないでしょう。

でも、10年後…20年後…

平和な日常が崩れ去った時、曲がり角はそこであったと思わないか?

今私たちは少しずつ少しずつ、曲がり角を曲がっているのではないか?と思うのです。

その時に嘆いても遅いから女性たちの怒りの赤!警告の赤!情熱の赤!を突きつけます。

1時間の行動で署名は69筆集まりました。

戦争になれば、幸せな日常は一瞬で崩れます。

まだ間に合います。あなたも一緒に平和についてかんがえてくれませんか?

戦争の悲しみを繰り返さないために、今行動する時です。  


Posted by つむたい at 18:23Comments(0)新婦人 豊橋支部活動

2015年06月19日

教科書展示会に行ってきました(^-^)/

教科書展示会に行ってきました。豊橋の展示会場はライフポートとよはしにある教育会館にあるんですが~

遠い(´;ω;`)

普段車をあまり運転しない私にとっては地の果てくらいなんだよ~。毎年カーナビさんに連れていってもらうのですが、とても疲れるので、市役所とか図書館にもう一ヶ所展示場作っていただけると助かるんですけど、なんとかなりませんかね~(T^T)

展示会場に入るといっぱいの教科書。今年は中学校の教科書採択の年なので、中学校の教科書を中心に読みましたが、出版社ごとに本当に書いてある事が違う。

教科書って正しい事が書いてあって、どれも変わらないものだと思ってましたが、違うんですね。

なかにはアジア太平洋戦争を正しい戦争だったと書いてあるものや原発についてもウランを再利用するのが良いみたいに書いてあるものまで。原発事故をもう忘れてしまったんでしょうか?

展示会場には、意見を書く紙と回収箱があって、書かれた意見は教育委員会の人が必ず目を通してくれます。

去年、展示会に行ったときに書いた展示会場の開館日時を土曜日もと言うお願いと、意見回収箱を他の人が抜き取りにくい形にしてくださいのお願いは、今年きちんと改善してくださいました。

教育委員会の人、ありがとうございますm(__)m

来年には展示会場がもう一ヶ所増えるとほんと~に嬉しいです。ぜひご検討お願いしますm(。≧Д≦。)m

まだまだ展示期間なので、そうか、教科書見てみたいなぁって人は、まだ間に合います。

教科書展示会
6月11日~7月4日(日曜日は除く)9;00~16;00
教育会館(ライフポートとよはし内)
新婦人では 6月27日14;00~16;00

いろんな教科書比べて見よう(^-^)/  


Posted by つむたい at 23:41Comments(0)新婦人 豊橋支部活動

2015年06月15日

『一人でいられるということ 思春期つながるよりそう (月1回連載)』

 お父さんの会社の七夕飾りを頼まれて、ついつい夜更かししてしまった月曜日。朝日がまぶしいです。今日から一週間長いぞ~金曜日には教科書展示会、土曜日は女性の怒りのレッドアクション。予定もいっぱいだ。

今週の新婦人しんぶん☆勝手にピックアップ☆6月18日号

『一人でいられるということ 思春期つながるよりそう (月1回連載)』

 21歳のナミさんから手紙が届きました。「昔の私は一人でいることがとてもつらかった。『一人でいることは素晴らしいこと』と先生に言われ群れていることだけが学生生活ではないと気づきました。このことを知らなかったら寂しいだけの高校生活だったかもしれません」という内容でした。

 ナミさんが保健室を訪れたのは、高校3年の4月でした。唯一の友達と仲違いをして、距離を置いたら一人になってしまったのです。

 「一人で食べる昼食も教室移動もつらい」というナミさんに私は、一人で行動する良い機会ではと思いました。そこで『ひとりで、ふたりで、みんなと』(東京書籍)から「子どもから大人になるに従って、人間は一人でいることが出来るようになります。いつまでも一人になりきれない二人は相手に寄りかかってその重みで二人とも倒れてしまうでしょう」を引用して話しました。ナミさんは、それから毎週私のところへ通いました。唯一の友と懸命に修復を試みますが叶わず、一人で行動せざるを得なかったのです。

 合同授業で一人ポツンとしていたら、二人の女子がそばに座りました。楽しい授業だったのでナミさんから話しかけると会話が弾みました。昼食時、隣のクラスをのぞくと一人で食べている女生徒がいました。「一緒に食べて良いですか」と声を掛け「いいよ」という返事。一人でいることって良い面もあると気づいたのです。仲良しグループで固まっていたら他の人との交流はなかったかもしれません。

 この手紙が届く少し前にナミさんの祖父がなくなりました。お通夜や葬式で自分の仕事と役割が一人前に果たせたことで、自分が持っている力を実感できたようです。また難しかった自動車免許も取得でき、さらに自信を得て、誰かに頼る生き方ではなく、自立して生きることの心地よさを感じて私に手紙を書きたくなったのでしょう。

 人は何か問題にぶつかったとき、真正面からしっかり向き合う勇気を持ち、乗り越えていく。その姿勢を周りの支援者も一緒に応援していきたいものです。  


2015年06月14日

コーラスハーモニー6月報告

昨日はコーラスハーモニーの日でした。なんか最近ブログアップが後手後手でいかんなぁ。

来週21日が地区合唱発表会の本番(*´∀`)♪

なんですが、ぜ~んぜん曲が仕上がってません。

どーすんだ!!(゜ロ゜ノ)ノ

とりあえず、準備体操から。今日はカセットを持ってきてくれた人がいたので、ラジオ体操第一から。日本国民なら音がなればだれでも踊れるラジオ体操。真剣にやると結構ハードです。

『大きなうた』
『十二の誕生日に』
『通りゃんせ』
で、発声練習してから、いよいよ合発の曲。規定は6分30秒以内。それで、先月削るとこを決めたんだけど、みんな記憶がうろ覚え~f(^_^;

先月のブログにアップしてあったのが決め手となりました(^o^)vそんなとこからだもんなぁ。一ヶ月に一度の練習だとなかなかおぼわらんわ。

歌う曲は『千の風になって』と『戦争を知らない子どもたち』

『戦争を知らない子どもたち』はタンバリンやらカスタネットなどの鳴り物を入れようと、いろいろ持ってきたんだけど、歌いながら鳴らすのって難しいわ。

特に歌もやっと覚えた段階だから、楽器持つと歌えん(-o-;)

おもちゃのタンバリンがほとんどのなか、本物の楽器のタンバリンを持ってきた人がいて、やはり本物、音が全然違ったので、その人だけが楽器を鳴らすってことに決定しました。

うん。まだまだ危なっかしいけど、まあ楽しく歌えれば良いかな。

リクエストで

『花』
『夏は来ぬ』

夏は来ぬは古い歌だから、歌詞が難しいね。なんとなくはわかるんだけど、意味がわからない言葉があちこちに。ネットで調べて目から鱗でした。

次回は7月4日2時~
東田校区市民館

いつでも見学大歓迎です(^o^)v

  


Posted by つむたい at 15:10Comments(0)新婦人コーラス

2015年06月13日

おしゃべりママ 6月報告

木曜日におしゃべりママでした。記録するのがちょいと面倒になり、伸ばし伸ばしで遅くなりました。しばらく前の中日新聞に出ていた、豊橋の障害のある2歳の子の保育園の入園拒否。

以前、子育てのパブリックコメントに出したある人の意見を読んで、市会議員の中西さんが話を聞きに来てくれました。

うちには発達障害の子がいるけど、意見を出した人の家にはダウン症の子がいます。

重度の障害を持った子を預けて就労。受け皿はなかなかありません。

知的に遅れがない肢体不自由の子の受け入れも施設的にとても厳しいです。

うちは軽い発達障害だけど、なかなか働く気になれない。軽度発達障害の子を育てながらも働いてるお母さんもたくさんいるので、働きたくない理由のを子どもに求めてるような気がして嫌な気持ちになるんだけど、働けない。

ダウン症の子のお母さんにちょっと愚痴ったら「働いてなきゃ、何かあったときすぐに飛んでいけるでしょ?安心を買ってるのよ~」

そうは言ってもお金はないので、なかなか割りきれないのがジレンマなんだけどね。

障害を持っていても、その子はその子として生まれてくる。

その子を受け入れて集団の中で伸ばしていくのはどうしたら良いか?

以前、保育課の課長さんと話したんだけど「障害のある子の保育は大変だからな~f(^_^;」を連呼してくれた。たぶん私が障害児の親と知らないから言ったことだとは思うけど。

障害のある子の受け入れが大変なのはわかってる。

でも、その子たちがいる以上、やはり受け入れていく場が必要なのであって…。

中西さんが6月議会で切り込んでくれると言うので、ちょっと期待かな。

中西さんがパタパタと帰っていき、調理師を目指す大学生の娘さんの楽しいキャンパスライフに盛り上がりました。

みんなで朝食抜きで、おにぎりを食べる人、おにぎりを食べる前にサラダを食べる人などなど、ちょっとずつ条件を変えて血糖値を計るんだって。

実験を繰り返し、学ぶってことは、学生の特権。がんばれ大学生(*≧∀≦*)

次回おしゃべりママは7月9日1時半から。

一緒におしゃべりしませんか?
  


Posted by つむたい at 13:21Comments(0)おしゃべりママ 子育て

2015年06月08日

『つぶやきも 要求も続ぞく実現‼ 愛媛・松山支部』

6月に入り、すっきりしない空模様。そろそろ梅雨入りですかね~。自宅になったちょっぴりの梅で先々週?の新婦人しんぶんに載っていた『梅醤油』を作りました。うまくできるかな?

今週の新婦人しんぶん☆勝手にピックアップ☆6月11日号

『つぶやきも 要求も続ぞく実現‼ 愛媛・松山支部』

 若い世代もベテランも、それぞれの視点でくらしと町を見つめ、こうなったらいいなというつぶやjきや願いを新婦人の運動で実現している愛媛・松山支部。町を歩けば、新婦人の運動で実現した成果があちこちにあります。

〇側溝にフタがついたよ!
 「ほらここ!6年間交渉し続けてやっとフタがついたのよ」と、ダリア班班長のSさん。通学路にもなっている生石地区の通りは、片側に深い水路があり、以前は人や車が落ちる事故が多発。新婦人の要求が実り、フタがつきました。

〇小中学校に太陽光パネルがついた!セットでエアコンの設置も要望

〇ボール遊びができる公園が9カ所に!
 ボール遊びができない公園が一般化するなか、「思いきりボール遊びができる公園を」と要求し続け、毎年1カ所のペースで増えて、現在9カ所に。

〇レディース健診に託児サービス
 新婦人山形支部に学び、要望した「レディース健診」の無料託児サービスは、昨年度から実現。保健所の職員も、「健診率が思うように伸びず悩んでいました。そういう要望をどんどん出してください」と。

〇公民館が使いやす
 人気のヨガやフラダンス小組が利用する、三津地域交流センター。2011年の建て替え時期に、地元の宮前班が「私たちの要望を聞いて!」と声をあげ、大会議室の仕切りや計量畳の導入、土足禁止の部屋を実現。班長のTさんは、「建て替え計画を見せてもらったら、裸足で使える部屋がなかったんです。ほかのサークルの人たちにも声をかけ要望をまとめ、改善できました」。利用料金の増額も予定より抑えられました。

〇高規格救急車が3台から12台に!消防隊員も増えたよ
 「夜勤明けで講師に来てくれたなんて!」消防隊員を迎えての防災ミニ学習会などを通して、人員が少ないことが話題になり、要望へ。他市と比べて少なかった高規格救急車も今年12台に増えました。

 33班に68の小組が広がる松山支部。日ごろから小組や班でのつぶやきを大切に、支部ニュースでも、常に要求募集のコーナーをもうけているほど。同時に要求のある人を主人公に、ウォッチングや署名宣伝行動などもひろげてきました。

 昨年末には、公園のトイレの改善からオスプレイの飛行反対まで38項目の要望をまとめ、31の担当課と懇談しました。この間に実現した成果は数えきれません。

 「今どき、学校にエアコンがないなんて!猛暑の夏を前に子どもたちの熱中症を心配していました。ようやく幼稚園から順次エアコンがつくことになってうれしい」と喜ぶ、会員たち。

 新婦人はエアコン設置とセットで小中学校への太陽光発電装置を長年要求してきました。「松山市は四国電力伊方発電所から60キロ圏内にかかるところもあり、事故が起きればその影響ははかりしれません。子どもたちの学ぶ環境を改善することと合わせ、自然エネルギーを広げることで、伊方原発再稼働を止めることにつながればと思ったからです」と事務局長のKさん。

 07年来、要求し続けている太陽光パネルは毎年計画的に増設され、現在は市内の小中学校84校中47校、約6割に設置され、年間93万キロワット(kw)の発電量になっています。

 クーラーの設置は現在、2つの幼稚園で実現。学校にも順次広げていく計画です。

 教育委員会の担当職員は「太陽光パネルを設置した学校には、いまどれくらい発電しているかがわかるモニターもつけ、環境問題を学ぶ授業にも活用しています。普段、市民の声を直接聞く機会はなかなかないので、新婦人さんとの定期的な懇談は貴重な場です」と話します。

 若い世代もベテランもそれぞれも視点で街やくらしを見つめ、要求や市への提案をまとめています。

 バス停ウォッチングにとりくんだのは、ベテラン世代の多いからたち班。班のみんなと実際にバスに乗って、路面電車よりも待ち時間の長いバスの停留所にどれだけ屋根やベンチがあるか、調べたKさん(83)は、「あれだけ大がかりにとりくんだのは学童保育の運動以来。それで、伊予鉄(道)に要望書を持って行ったら、すごく驚かれたの」。その後支部でも対市交渉のときに高齢者でも乗り降りしやすい低床バスを要望し、実現しました。

 若い世代の1番の要求は、子ども医療費の拡充でした。中学卒業まで無料にと実行委員会を立ち上げ、生協やPTAなど様々な団体とつながりながら、3カ月で1万2251人分の署名を集め、市と県に提出。今年度から中学卒業までの入院が無料に。

 実行委員長を務めたのはピース班のSさん。3人の子育て中です。「署名を集めるとき、この願いはたくさんの人の要求だと感じました。対話が苦手ですが、上手な先輩を隣で見ながら集めました。通院、中学卒業まで無料に向けてがんばります」。

 「市に要望書を出すなんて、以前の私だったら考えもしなかったこと。言ってもきっと変わらないと思っていました」と話すのは、椿班のYさん。いまでは毎回交渉に行っています。

 教育にかかわるものだけでもほかに、・就学援助のお知らせチラシの内容が充実、市役所窓口でも配布・武道必修化を前に高すぎる胴着・道具が貸与に・全国一斉学力テストの学校別の成績公表を中止など、みんなの願いを集めたきめ細やかな要求が実現しています。

 実現した要求は支部ニュースに載せ、「市にこんな声を届けています!」と阿知見解を知らせる班のチラシでも紹介。そのチラシを見て「こんな会があったのですね」と体験会の参加を申し込んでくる人も。

 要求実現は班からも取り組んでいますが、支部は毎年秋にみんなの声を集め「要望書」を作成。来年度の予算編成に反映できるよう、12月議会の前に市と懇談するのが恒例となっています。

 「要求実現運動はいつからですか?」と聞くと、「‶ポストの数ほど保育所を”の運動にとりくんだ支部創立のころからずっとよ」とのベテラン会員のことばに驚きました。
  


2015年06月04日

教科書カフェ開きました

今年は2016年度から使う中学校教科書を選定する年です。

子どもたちの使う教科書、出版社によって全然内容が違うのって知ってました?アジア太平洋戦争を「アジアを解放する戦争だった」「正しい戦争」と書いてあったり、公民でも国民主権、基本的人権の尊重、平和主義を学ぶところが、「国民主権と天皇」ほとんど天皇の話になってたり…。

そして、教科書を選ぶのは、教科書を使う先生ではなく、首長が任命する「教科書委員会」教科書採択に教員の声が活かされない。こんな国は日本だけなんだって。

今日は『子どもと学ぶ教科書の会』代表 安井俊夫さんを交えての座談会です。

とりあえず、教科書って読み比べた事なんてないし、出版社によって違うなんて思いもしないし。

だって、教科書だよ。

「ちゃんと教科書読みなさい。正しいこと書いてあるから!」

って、子ども叱ったりしません?その教科書に「戦争って正しい」って書いてあったら怖いよ~(T0T)

うちの子が「お国のために戦います」なんて言って、戦争に言っちゃったら困るもん。でも、それは70年前には当たり前の事で、柔らかい頭に教育勅語を刷り込まれた世代はなかなか消すことが出来なかったって。本当にゾッとするわ。

で、安井先生たち、現役や退職した先生たちの作った学び舎の教科書について話してくれたんだけど、これがおもしろい。

例えば、与謝野晶子の有名な詩「君死にたまふことなかれ」を子どもたちに教えると「先生、弟死んだの?」「弟はこの詩を読んだの?」大人では気がつかないいろんな疑問が出てきて、そこから話がふくらんでいく。

アンネフランクとオードリーヘップバーンが同い年、同じユダヤ系でオランダで暮らしていた。初めて聞く話、興味をぐいぐい引き付けられて、参加者さんから「この教科書で、歴史を学び直してみたい」との声が。

教科書って、現場の先生と子どもたちのものなんだなぁ。と改めて思いました。こんな生き生きとした教科書を使わないで、国の考えを押し付ける教科書使うのはやだ。

私たちは直接、教科書を選ぶことはできないけど、教科書展示会に行って意見を書いてくることはできる。

ちなみに、去年、教科書展示会に行って「平日だけでは働いている人が展示会に行けないので」と書いたら、今年から土曜日も展示されるようになりました。

書いただけのことはある(^-^)v

あなたも教科書展示会に行きませんか?

教科書展示会
6月11日~7月4日(日曜日は除く)9;00~16;00
教育会館(ライフポートとよはし内)
新婦人では6月19日9;30~11;30
     6月27日14;00~16;00

安井先生の話が聞けるチャンス
6月14日14;00~16;00
アイプラザ豊橋201会議室(資料代300円)

みんなで教科書を見に行こう(^-^)/  


Posted by つむたい at 00:31Comments(0)新婦人 豊橋支部活動

2015年06月01日

『戦争は絶対にやっちゃいけない 憲法9条は世界の宝です 俳優 宝田明さん』

 平和行進が5月31日に愛知入りし、今日も平和への思いを胸にたくさんの人が歩いています。

 今週の新婦人しんぶん☆勝手にピックアップ☆6月4日号

『戦争は絶対にやっちゃいけない 憲法9条は世界の宝です 俳優 宝田明さん』

 東宝のスターとして200本余の映画に出演し、ミュージカルの草分けとして、今も舞台、テレビ等多方面の活躍をする宝田明さん(81)。出演の合間をぬって各地の講演に出かけ、自身の戦争体験と憲法への思いを語っています。

 初主演映画は『ゴジラ』(54年)で、今年で俳優61年になります。私とゴジラは20歳違いながら、同級生、クラスメートみたいな感じですね。

 終戦後9年、第5福竜丸がビキニ環礁でアメリカの水爆実験によって被災する事件が起こりました。そのときに、核に対する恐怖を訴えるためにつくられたなが「ゴジラ」です。彼も水爆実験で被爆して、むくっと目が覚めてたまたま日本に上陸して人類に対する復讐を始めたというのがストーリーです。

 ところが映画では、そんなゴジラを化学兵器によって消し去ろうとする。私は当時完成した映画を試写室で見ながら、「人間ってなんて醜いんだろう」とわぁわぁ泣きました。監督の本多猪四朗さんをはじめ、制作、俳優もみんな戦争体験者。核兵器廃絶への強い願いが込められた、唯一の被爆国、日本だからこそできた映画ですね。

 安倍政権が、他国がおこす戦争に参加する‶集団的自衛権”の行使だ、憲法解釈の変更だと突き進んでいるなか、「戦争は絶対やっちゃいけない。憲法9条は世界の宝だ」と、今こそ声を大にして発していく時だと思っています。

 ”いつでも””どこでも”とどんどん枠を広げて、自衛隊がアメリカと手をたずさえて地球の裏側まで行って戦争に加担しようとしている。どう考えても憲法9条に違反します。命の尊厳はみんな同じなのに、戦争で命が奪われたとき誰がその責任をとるというのでしょうか?

 国民の代表である国会議員のほとんどが戦争を知らない世代。安倍さんにしても、戦争の悲劇を実際に目にしたり、海外にいて他国の軍隊の迫害や暴行を受けたことがない。戦争をあまりに軽く見ています。

 私は小学5年生の時に旧「満州」(中国東北部)のハルビンで終戦を迎え、その2年後に引き揚げてきました。

 私は役者であり、お客様にはいろんな考えの方がいますので、政治的な発言は控えてきました。でも、60歳を過ぎたころから自問するようになったんです。「おい、いつまでノンポリでいられるのかよ宝田よ」と。役者は後から身につけた職業、人間として何をいわなきゃいけないんだ、と。それからです、戦争体験を語っていこうと思いました。

 父は満州鉄道の技師で、私は旧「満州」の大都市ハルビンで不自由なく育ちました。

 学校でも軍事教練をしながら、「日本の北の防塁たらん」「大きくなったら関東軍に入って祖国を守る防波堤になるんだ」と、私も好むと好まざるとびかかわらず軍国少年の一人になっていました。

 そんな生活が一変したのは、1945(昭和20)年8月9日、ソ連軍が不可侵条約を破って、国境を越えて進行してからです。

 家財道具を略奪するために部屋に押し入ったソ連兵に、銃口を頬にあてられた時の恐怖。またハルビンからシベリアへ送られる関東軍の兵士の中に兄がいないか駅まで探しに行ったときには、見回りに来たソ連兵に腹を撃たれました。元軍医という方に、麻酔もないなか、裁ちバサミで傷口を切り開き銃弾を取り出してもらいましたが、そのときの激痛と人間の肉を切る音を私は忘れることができません。

 父は偉ぶらず現地の人たちとも仲良くしていましたが、結局は、技術者として植民地を作る最先端にいたわけです。

 第二次世界大戦では2000万人の尊い命が奪われました。人の命が軽んじられ、戦争に明け暮れた日本の歴史が、つい100年前にあった。そのことをきちんと教科書にも書き教えるべきです。

 いまだに、日本軍「慰安婦」は強制ではなかった、南京大虐殺はなかったなどと言う政治家がいることが信じられません。お隣の韓国、中国をはじめ、日本が侵略した国々の人たちは、日本の国民が反省し、子どもたちにも教えている姿をみて、初めて信頼を寄せてくれるのではないでしょうか。

 役者になったのは、演劇活動をしていた高校生のとき、出入りしていた写真屋さんに、東宝の受験をすすめられたのがきっかけです。

 当時は暮れには餅屋、日雇いもして働きながら学校に通っていました。血を売って学費の足しにしたこともありますよ。1回200ccで300円、少ない収入です。死んだ父母にも内緒にしていましたが、もう時効ですね。

 憲法を学んだのは、そんな高校生の時です。平和国家を築くために、自分に何ができるのか、日本が中国でしたことをきちんと謝り、日中の友好と平和のかけ橋になろうと考えました。役者になってもその気持ちは変わりません。

 その憲法の「改正」が本気でねらわれ、日本が戦後最大の岐路であることは確かです。絶対に戦争をおこしてはいけないと思う人たちは一番の権利、一票一票でその意思を示すときだと思います。

 戦争体験とその思いをテレビで申しましたら、いきなり司会者にさえぎられ「あれ?」と思うことがありました。

 ですがその後、「テレビ見てましたよ」など、空港や駅のホームでたくさんの人に励ましの言葉をいただき、あぁ、日本国民は賢明なんだなと逆に励まされました。

 日本の進路は、若者たちが選択していくのだと思います。ですがそれは、いわゆる10代、20代だけでなく、若者へつなげる世代も含め、僕たち戦中派が語り部となって経験や思いを伝えていく。祖父母から親、子へと語り継いでいけば、平和への思いは100年つなげます。それが責務だと考えまして、恥ずかしながら自分の人生をミュージカルにしたり、本を出したり、呼ばれれば各地に出向き発言しています。

 男性の暴走を食い止めるのは、強さとしなやかさを持つ 女性たちではないかと期待しています。女性たちはもっともっと政治的な発言を、自信をもって堂々としていってほしいと思っております。  


Posted by つむたい at 17:49Comments(0)