2016年07月31日

石鹸作ったよ




先週の木曜日に石鹸を作りました。ドーナッツや何かについてる削ったココナツみたいな白い石鹸のもとに、アロマオイルで好きな香り、食用色素で好きな色をつけて、お湯とマカダミアナッツオイルを入れて混ぜるだけ。子どもでも簡単にできて、大喜びでした(^-^)v  


Posted by つむたい at 22:03Comments(0)新婦人太陽斑活動

2016年07月25日

『家族、親戚16人が原爆で亡くなった いま伝えたい―被爆者から』

長い夏休みが始まりました。とりあえず今日はサマースクールに行ってくれたから良かったけど。

今週の新婦人しんぶん☆勝手にピックアップ☆7月28日号

『家族、親戚16人が原爆で亡くなった いま伝えたい―被爆者から』

 1945年8月9日、私は11歳で小学6年生。長崎市の爆心地から直線で12キロメートルの西彼杵郡三重村の祖父母の家にいた。

 お手玉をして遊んでいた私は、急に周りがピンク色に変り気味悪くなり、祖父母のいる茶の間に駆け込んだ。同時に障子が吹き飛び、ふすまも倒れ、パーンと耳に食い込むような音がした。神戸で経験した爆弾と違っていた。しばらく布団をかぶせられていたが、伯父が来て「今のは長崎げな」と言って出ていった。

 戻ってきた伯父が「浦上がやられたとげな」と。浦上には母のきょうだいの家が4軒ある。「今のはひどかった、大丈夫かな」と心配ではあったが、以前住んでいた神戸で空襲慣れしていたので、‶大丈夫”の方にかけていた。

 翌日、心配になった伯父と姉が長崎に行く用意をしていた。私も連れていってもらうことにした。16キロのメートルの道のりだから4時間で行ける。

 「午前中には、お母さんに会える」と勇んで出発したが、空襲があるのではないかと不安で、気配を伺いながら物陰に隠れ、しばらくたってから歩き出すという繰り返しで、とうとう夕方になってしまった。県道は歩けず、線路を通って大橋の手前の道路に出た。ガスタンクがつびされ、道路は人やがれきでいっぱい、歩く人、死んでる人、もう少し行けば家だと思うが進めない。

 浦上川には人が浮いていて、岸辺には人が転がっている。橋の上では、膨れ上がって目が飛び出した中学生らしい人…人も馬も牛も、みんな死んでいる。

 ようやく焼け跡の家らしき場所に着いたが、何もない。防空壕に行く。姉と兄、いとこがぼんやり立っていた。「お母さんは?」と尋ねると「誰もおらん」と言う。「壕の中にも入られん。死人とけが人で足の踏み場もない」と。暗くなり、長崎市立商業学校の運動場でごろ寝をした。夜が明けると再び焼け跡へ。灰になった人を、これは妹、叔母、叔父、これはいとこと決めた。よく見ると手も足も頭もない、焼きすぎた魚のような黒焦げの死体があり、これは母と決めた。学徒動員で出かけていた姉も、とうとう帰ってこなかった。いとこの家族は行方不明が4人。叔父の家では、叔父と末の子が生きていた。うれしくて涙が止まらなかった。ここでも不明が2人。下から2番目の女の子は、さっき死んだという。生きていたのは叔母も加えて3人だけだが、よかったと喜んだ。

 11日午後、遺体が盗まれないようにトタンなどをかぶせて隠し、亡くなった女の子の荼毘(だび=火葬)の用意をする。私は祖父母のいる三重村に帰れと言われて1人で帰った。村に着いたのは夜中だった。

 12日、13日、叔母、叔父、末の子の看病をした。叔母は緑色の液体を吐き、下痢になり、翌日亡くなった。髪の毛も抜け、口の回りは紫色でうみが出ていた。

 15日、叔父は終戦のニュースを聞いた後、叔母と同じような姿で亡くなった。そして末の女の子も緑色の液体を吐いて亡くなった。私の家と親戚全部で16人が原爆で亡くなった。こmっま原爆を許すことはできない。  


2016年07月23日

歴史学びカフェ

7月14日に歴史学びカフェを行いました。現場の先生たちが作り上げた学び舎の教科書。以前教科書展示会に行った時、支部の何人かで買ったんだよね。

子どもの学ぶ意欲を引き出すために、図をたくさん取り入れ、庶民の暮らしにもスポットを当ててあります。従軍慰安婦や戦後の子ども議会、ぞう列車が載ってるのはこの教科書だけ。丸暗記を防ぐために重要ポイントを太字にしないのも工夫の1つだそうです。

少し変わった切り口の教科書のため、公立では採用されず有名私立でチラホラ採用されてます。桜ヶ丘中学でも採用されてると聞きびっくり。

お試し授業として飛鳥時代をやってくれたんだけど…

あの旧一万円札の聖徳太子。あの一万円札の絵、あれ本人じゃないんだって!!(゜ロ゜ノ)ノ

聖徳太子が作ったと言われる十七条の憲法も聖徳太子が作ったんじゃないんだって。習ってきたことがまったく変わっている驚愕の事実。歴史って古くて新しいんだなと改めて思ったね。

子どもと教育部長の娘さん手作りの美味しいケーキもついて、みんな大満足でした。

次回開催したら参加したいですか?のアンケートは『ぜひ参加したい』特に近代史が学びたいが多かったです。

次回企画できるかな?

それまでに無くした私の教科書出てくるかな?

学び舎の教科書買ったのに、無くしてカラーコピーで授業を受けたのは私です。

教科書忘れて恥ずかしい気持ちも含めて、学生気分に戻れた一時でした。

  


Posted by つむたい at 20:32Comments(0)新婦人 豊橋支部活動

2016年07月18日

『自分で言えるまで 思春期つながるよりそう(月1回連載)』

 今日は祝日。めずらしく祝日休みの夫の「祝日なのに行くの~」の声を振り切り、今日もお仕事。たまたま事務所に立ち寄ったお馴染みさんをつかまえて手伝ってもらったので早く終わったけどね。

今週の新婦人しんぶん☆勝手にピックアップ☆7月21日号

『自分で言えるまで 思春期つながるよりそう(月1回連載)』

 6年生のMさんは保健室によくきて、楽しそうに話をしていきます。Mさんのことがよくつかめなかったので担任に教室での様子を聞きました。誰よりも努力しているのに勉強ができなかったリ、行動が遅いので友達からよく注意されたりと、保健室では見えないMさんの様子がわかりました。

 ある日、Mさんがおもらしをしてしまいました。私が「忙しかったかな?」と聞くと「行きたいと思ったら出ちゃった」と言います。おもらしが数回続いたのでお母さんに話しをすると、クラスの人間関係のストレスかもしれないとのことでした。その時になって初めて、おもらしはMさんのSOSかもしれないと思いました。困っていることをクラスでは言葉に出せず、常に緊張していて「トイレに行きたい」と言えないのかもしれません。

 Mさんが困っている事や気持ちを安心して言えるように、保健室ではゆっくり話をしながらMさんの緊張をほぐしていきました。

 会話の中でMさんが「今日〇〇ちゃんが休みだから寂しい。あんまり話さないけどね」と言いました。友だちと話したいけれど緊張して話せないのだなと感じました。そのことを担任に話すと、クラスメイトと遊ぶ時間をつくってくれました。Mさんの日記には‶みんなと遊ぶことができて楽しかったです″と書かれていました。それから保健室に来る回数も減り、自ら「トイレに行きたい」と言えるようになりました。

 保健室に来る子どもたちは、一見、楽しそうに見えても、心の中に何を抱えているのか、しっかりと見極める必要があると思います。子どもは‶何かある”から保健室に来るのだということをMさんから学びました。その‶何か”を保護者や職員と考えながら、子どもたちを支援していきたいと思います。  


2016年07月12日

『子育て世代のねがい次つぎ実現!』

さて夏休みが見えてきたせいか、うちの困ったちゃんも無事登校。久しぶりにお仕事に集中できるわ。

今週の新婦人しんぶん☆勝手にピックアップ☆7月14日号

『子育て世代のねがい次つぎ実現!』
 
 「お金の心配をしないで子どもを病院に連れていきたい」「子どもと一緒に議会を傍聴できたら」…子育て世代のつぶやきで行動し、切実な願いが実現しています。

〇42年ぶり 乳幼児医療費就学前まで拡大 宮城県本部

 「通院2歳」「入院就学前」と、乳幼児医療費助成が全国最低レベルの宮城県。就任以来、制度を拡充してこなかった村井知事ですが、6月県議会で「通院を就学前まで拡充する」と答弁、来年4月から拡充されます。市町村では東日本大震災後も県の基準を超えて拡充してきました。ほとんどの自治体が中学卒業まで拡充し、高校卒業までの実施も12市町村に広がっていますが、財政負担も大きくなっています。

 新婦人は2006年に他団体と「乳幼児ネット」を結成し10年間、毎年県交渉を重ねてきました。13年に県議会に請願したときは与党自民・公明が「継続審議」を繰り返し15年9月議会で廃案に。ところが、今年5月の市町村会議で、今まで「国の制度で助成すべきだ」語っていた知事が「来年度拡充する」と表明したのです。

 6月10日、「乳幼児ネット」として県保健福祉部長と交渉しました。2月に行った自治体アンケートなどを報告し、参加した会員が「所得制限はなくして」「県の助成が上がれば市町村もさらに拡充されます」と訴えました・

 部長は「みなさんの声を受けとめて、検討します」と回答。12日の県母親大会でも「県知事にはがきを書いて訴えよう」と呼びかけ、すでに200枚以上送っています。今後も要望を続け、対象年齢の引き上げ幅をのばしたいと思います。

〇8月から未就学児の医療助成21年ぶりに現物給付に 岩手県本部

 県の子ども医療費制度は「通院が就学前まで」「入院が小学校卒業まで」です。自己負担がないのは3歳未満までで、一医療機関ごとに1カ月1500円までは自己負担があり、しかも「償還払い」です。

 20104年9月から「子ども医療費岩手の会」が活動を始め、新婦人も賛同団体として署名や要請行動に参加。発会約9カ月で集めた署名は69581人分!県内の幼・保育園・学童保育、小中学校、小児科に働きかけ、会のイメージキャラクター「た~だちゃん」グッズを作ったり、口コミでSNSなどで運動を広げました。県議会に請願も提出して全会派一致で採択!

 子連れのママが参加して知事とも懇談しました。限度額は診療科ごと、歯科や皮膚科を受診すればかなりの出費です。「子どもには不自由なく必用な医療を受けさせたいと精一杯やっているが…」と、声を詰まらせるシングルマザーもいて、本当に切実です。

 こうした会の活動や全国的な情勢から県が動き、昨年8月に助成対象が拡大、この8月から就学前に限り「現物給付」(窓口負担なし)に!償還払いなってから21年ぶりの現物給付化の実現です。

 さらなる制度拡充を求めて6月14日、県に提出した第2弾署名は総数46957人分。とはいえ小学生以上は償還払いで、3歳以上は一定額の負担はあります。せめて中学校卒業まで医療費は窓口完全無料にしてほしい。国のペナルティー制度の見直しの動きも見据えながら、働きかけを続けます。

〇議会傍聴席に「保育室」、実現 神奈川県・秦野支部

 実現したのは、市議会傍聴席の1角を区切ったガラス張りの保育室。公立幼稚園民営化の計画が突然出され、子どもと一緒に初めて3月議会を傍聴したひまわり班のKさん。1歳4歳の子どもの声に向けられる議会役員席からの視線が耐えられず、退席。先輩会員が、その日のうちに議会運営委員に改善を申し入れ、保育室が実現することに!「親の声をもっと聞いて」「急過ぎる」などの声が寄せられる幼稚園民営化問題。「これからどんどん市議会へ行きたい」とKさん。地域の運動をさらにすすめていきます。  


2016年07月09日

おしゃべりママ 7月報告

七夕だった木曜日、おしゃべりママでした。最近、子どもと一緒に寝オチしてアップが遅れてますが…

おしゃべりママは最近、新しい人が定着して楽しくなってきました。


とりあえず、先月からの続きの話。修学旅行に行った不登校気味の先輩ママの娘さんは、いろいろあったけど、無事に楽しんでこれたようで良かった、良かった(*^^*)

でもって、うちの姉ちゃんの学校行きたくないは、現在も続いており、スクールカウンセラーさんと話してきました。

先輩ママもスクールカウンセラーさんと定期的に話してるから、いろいろ情報交換できて参考になったね。

でもって、私のお仕事は7月いっぱいで、辞めることになりました。まあしかたないね。

新しく加わったママさんは精神科の受付をしていたようで、発達障害の話で盛り上がりました。

あとはトウモロコシ狩りの話。毎年めっちゃいっぱいトウモロコシが採れて楽しみにしてるんだけど、今年は発達外来と日程がかぶって行けないんだよ~(ToT)

ひたすら辛い(。>д<)

ああ my トウモロコシ~wwww

ガックリ…

もうすぐ夏休みなので、8月のおしゃべりママはお休み。

次回のおしゃべりママは9月8日1時半から
新婦人事務所です。  


Posted by つむたい at 18:31Comments(0)

2016年07月05日

『大人の責任を果たせなかった』

今日は学校行けない娘のスクールカウンセリングでしんぶん仕分けはほとんど手伝えませんでした。

『大人の責任を果たせなかった 琉球新法政治部長 島洋子』 

 胸苦しさが取れない。考えると涙がにじむ。米軍属による女性暴行殺人事件のことである。4月28日午後8時頃、婚約者に「ウォーキングしてくる」とラインでメッセージを送った後、20歳の女性が行方不明になった。

 3週間後、元海兵隊員の米軍属の男が逮捕され、供述通り山中から遺体が見つかった。供述によると容疑者の男は女性を物色して2,3時間車を走らせた。全く面識のない女性を背後から棒で殴り、草むらに連れ込んで強姦しようとし、刃物で刺して殺害した。凶器や遺体を運んだスーツケースもあらかじめ準備していたとみられる。

 暴力で自分より自分よりも弱い存在の女性を意のままにしようとし、最後は殺し捨てる。それは性欲などではなく、ゆがんだ支配欲の行きつく先だ。

 男をこれだけ残忍な凶行に走らせたものは何だったのか。軍隊という場で学んだ暴力が全く無縁だったとは思えない。それは」沖縄で暮らしてきたからこその皮膚感覚だ。

 沖縄戦終結後、米兵が近づくと集落に鐘が響き、女たちは逃げ隠れた。「見つかれば襲われる」からだ。

 1955年にはわずか6歳の女の子が米兵に拉致、乱暴され殺された。基地内のごみ捨て場に捨てられた遺体は苦痛に顔をゆがめて歯を食いしばり、ぎゅっと結んだ小さな手には雑草が握られていた。

 60年代半ばからはベトナム帰還兵による強姦やホステス殺しが頻発する。戦場の極限状態を経験した人間が暴力を向ける先が沖縄の女性だった。

 日本復帰後も事件は続いた。そして95年、3米兵による少女乱暴事件が起きた。

 私たちは21年前、二度と事件を起こしてはならないと誓った。軍隊と住人があまりにも近すぎるこの島。事件をなくすには基地をなくさないといけない。そう心に刻み、仕事をしてきたつもりだった。それにもかかわらず、成人式を終えたばかりの若い命を守れなかった。無力感と悲しみから抜け出せない。私は大人としての責任を果せなかった。  


2016年07月03日

コーラスハーモニー7月報告

昨日コーラスハーモニーでした。地区合唱発表会前の最後の練習日。今日は発表会のための助っ人さんたちも参加しててちょっと賑やかです。ちょっと気合いいれてやっちゃうよ~まずは発声がわりに

『十二の誕生日に』
『いちにさん』

発表曲だ~いっくよ~!

『タンポポ』
『私の子どもたちへ』

発表曲ばかり練習するのもってことで、リクエストコーナー。

『あの素晴らしい愛をもう一度』
『死んだ男の残したものは』
『そんな町を』
『白いブランコ』
『原爆を許すまじ』
『時代』

リクエストコーナーが盛り上がって、ウッカリ忘れそうだったけど、もう一回発表曲歌って本日はおしまい。

次回は8月27日2時~
東田校区市民館で。

いつでも見学大歓迎\(^o^)/  


Posted by つむたい at 10:03Comments(0)新婦人コーラス