2013年11月11日

『増山たづ子 すべて写真になる日まで』

今日は久しぶりに息子ぐずる(-"-;)月曜はなかなかハードル高いねぇf^_^;

今週の新婦人しんぶん☆勝手にピックアップ☆11月14日

『増山たづ子 すべて写真になる日まで』

静岡 IZU PHOTO MUSEUM〜2014年3月2日まで

ダムに沈む村を残した、「増山たづ子写真展」がIZU PHOTO MUSEUMで開かれています。研究員の小原真史さんに小学校してもらいました。

「カメラばあちゃん」の愛称で知られた増山たづ子さんは、沈みゆく故郷徳山村を撮り続けたアマチュア写真家だ。彼女の展覧会(岐阜県)うちか開催したいと思っていた。徳山村には父の友人が教員として赴任しており、夏になると遊びに訪れた思い出深い場所だ。写真の一コマのようなとぎれとぎれの記憶だが、村を流れる美しい川の印象は忘れ難い。徳山村では「お国のために」「下流の人たちのために」などと離村していった住民たちも多かったというが、私の生まれ育った愛知県はその「下流」に当たる。こうした非対象な構造は徳山村だけの話ではないだろう。東日本大震災を経たわれわれが彼女の写真から受け取るメッセージは少なくないはずだ。

増山さんはダムに沈みゆく村を写真で残そうと60歳を過ぎてからカメラを手にした。戦争で夫を亡くし、村で農業のかたわら民宿を営んでいた女性が「国が一度やると決めたら戦争もダムも必ずやる」とそれまで使ったこともなかったカメラで村を写す(=移す)ことを決意した。

過疎化が進んでいた徳山村はダム建設慎重派と賛成派に割れ、運命共同体だった村も急坂を転がるように解体してゆく。「出る杭は打たれる」ようなムラ社会の中で、増山さんは「カメラばあちゃん」としてとことん出ることを選んだ。トレードマークのかめ・ピッカリコニカと首に巻かれた水色のタオルは「カメラばあちゃん」を演じるための道具だったのかもしれない。いつダムになるとも知れぬ切迫感を抱きながら、年金のほとんどをつぎ込んで撮りためた写真は10万カットにも及ぶ。小さなカメラで国策という大きな流れに立ち向かい、決して奪われることのない記憶の村を写真によって作り上げようとしたのではないだろうか。

2006年3月、増山さんは徳山ダムの完成を見届けることなくこの世を去った。その半年後には村を流れていた川がせき止められ、徳山村跡地はダム湖の水で覆われた。写真は、ダムの底に消えた村の記憶を鮮やかに甦らせ、止まっていた時間を動きださせてもくれる。

増山さんが亡くなってから7年、徳山村廃村からは26年が経過した。

今は亡き徳山村と彼女に花を捧げたいと思い、展示室の最後は徳山村の花の写真と押し花で飾った。


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