2019年03月04日
『3.11東日本大震災 福島原発事故から8年 私たちが元気にする!宮城・名取市を訪ねて』
明日は中学校の卒業式。卒業式の予行練習に怖気づいて学校行けなかった中一娘。困ったものだなあ。春の嵐はもう始まっているようです。
今週の新婦人しんぶん☆勝手にピックアップ☆3月7日号
『3.11東日本大震災 福島原発事故から8年 私たちが元気にする!宮城・名取市を訪ねて』
「8年目にしてやっと新校舎ができました」-宮城県名取市にある宮城県農業高校から落成式への招待状とお礼の手紙が届きました。新婦人が全国から寄せられた東日本大震災救援募金を届けた高校の一つです。人とのつながりを大切に、復興へと歩みをすすめる、若者、女性たちに会いに名取市を訪ねました。
仙台駅からJR線で南へ12分、名取駅で迎えてくれたのは新婦人名取支部の支部長、Tさん。車で沿岸部、閖上地区を回ると、災害公営住宅が並びますが、人通りはありません。港近くは、盛り土した赤土が延々と広がっています。東日本大震災で壊滅的な被害を受けた同地区。津波で校舎や。農場のすべてが流され、内陸部に移転した宮城県農業高校の新校舎を訪ねました。
133年の歴史があり、農業・園芸・食品化学など5学科に約700人が学ぶ同校は、宮農と呼ばれ、地域の人たちから愛されています。
塩害で作物が作れなくなった農地にそばを育てる「SUN・SUN・そば」プロジェクト。被災から復活した特産のメロンを使ったスイーツづくりなど、震災後から地域とともに復興にとりくみ、笑顔と元気を広げてきました。
最近大きな話題になったのが、「ご当地!絶品うまいもん甲子園」(農林水産主催)で優勝し、「北限しらす」の名を全国に広げた、「おにしらす」です。
もともと宮城ではしらす漁はされていませんでしたが、2017年に「北限」として解禁され市ぐるみのとりくみがスタート。17年はわずか2キロだった水揚げが、翌年には40トンに増えました。これをさらにアピールできないかと、市が福島県浪江町から宮城に移り住んできた加工業者と同校の農業経営者クラブをひきあわせました。
みんなで話し合い。20個のアイデア料理を試作。同校で収穫したブランド米「だて正夢」に甘辛く炒めたしらす、梅干し、アボカド、チーズなどの具材を使った、「おにぎらず」と「しらす」をあわせた「おにしらす」を考えました。パリッと焼いた春巻きの皮で包むアイデアは高校生ならでは。担当になったSさん(18)は、「おいしさとインスタ映えが秘訣」と胸を張ります。
しらすの加工業者「鈴栄」のNさんは。「宮城に来た時は、正直もう魚屋はやらなくてもよいと思っていました。でも、高校生とお会いした時。ああしたい、こうしたいと一生懸命話してくれて、すごく勇気づけられました」。
クラブのリーダーTさん(18)は、「新しい土地で借金までして何んとかがんばりたいと、鈴栄さんから率直な思いを聞きました。その言葉が、ぼくらも何か役に立ちたいと原動力になった」。試作品は閖上の祭りで食べてもらい、「見た目はごちゃごちゃだけどおいしいよ」など、思いもよらない感想や意見を聞けたことも、大きな力になったと言います。業者と漁師、高校生がコラボで生み出した商品です。
クラブの担当教諭Y先生は言います。先生自身、生徒たちが育てていた牛の留め具を外して逃がし、直後に波に飲まれたのを見ていました。
「津波は、彼らから友だちも、牛や馬も、普通の高校生活も奪っていった。被災地はマイナスからの出発だった、だからこそマイナスからのプラスに、大人が〝無理でしょ”と思うことも高校生がやれば時代を動かせるんだよと、生徒たちに話しています」。
震災当時彼らは小学4年生、それぞれ被災の体験をかかえています。宮農での高校生活を終え、さまざまな進路に向かう高校生たち。
Sさんは、「地域の人とつながることでたくさんのことを学びました。将来は農業高校の先生になって、地域を元気にする活動を続けたい」と話します。
Kさん(18)は、人前で話すことが苦手でしたが、震災で幼なじみを亡くした体験の語り部活動を通して、人に伝える大切さを知りました。「JAに就職が決まりました。農作物を加工して付加価値をつけることで農家が安定した収入を得られる、そんな農業を農家さんと一緒に作っていけたらいいな」。
実家が農家のSさん(18)は、農業大学を卒業後は地元に戻って農業を継ぐつもりです。「将来は減農薬じゃなくて、完全に農薬を使わない。そんな農業をしたいです」。
みんなが地域への思いを語る姿に、復興への希望が見えてきます。
今週の新婦人しんぶん☆勝手にピックアップ☆3月7日号
『3.11東日本大震災 福島原発事故から8年 私たちが元気にする!宮城・名取市を訪ねて』
「8年目にしてやっと新校舎ができました」-宮城県名取市にある宮城県農業高校から落成式への招待状とお礼の手紙が届きました。新婦人が全国から寄せられた東日本大震災救援募金を届けた高校の一つです。人とのつながりを大切に、復興へと歩みをすすめる、若者、女性たちに会いに名取市を訪ねました。
仙台駅からJR線で南へ12分、名取駅で迎えてくれたのは新婦人名取支部の支部長、Tさん。車で沿岸部、閖上地区を回ると、災害公営住宅が並びますが、人通りはありません。港近くは、盛り土した赤土が延々と広がっています。東日本大震災で壊滅的な被害を受けた同地区。津波で校舎や。農場のすべてが流され、内陸部に移転した宮城県農業高校の新校舎を訪ねました。
133年の歴史があり、農業・園芸・食品化学など5学科に約700人が学ぶ同校は、宮農と呼ばれ、地域の人たちから愛されています。
塩害で作物が作れなくなった農地にそばを育てる「SUN・SUN・そば」プロジェクト。被災から復活した特産のメロンを使ったスイーツづくりなど、震災後から地域とともに復興にとりくみ、笑顔と元気を広げてきました。
最近大きな話題になったのが、「ご当地!絶品うまいもん甲子園」(農林水産主催)で優勝し、「北限しらす」の名を全国に広げた、「おにしらす」です。
もともと宮城ではしらす漁はされていませんでしたが、2017年に「北限」として解禁され市ぐるみのとりくみがスタート。17年はわずか2キロだった水揚げが、翌年には40トンに増えました。これをさらにアピールできないかと、市が福島県浪江町から宮城に移り住んできた加工業者と同校の農業経営者クラブをひきあわせました。
みんなで話し合い。20個のアイデア料理を試作。同校で収穫したブランド米「だて正夢」に甘辛く炒めたしらす、梅干し、アボカド、チーズなどの具材を使った、「おにぎらず」と「しらす」をあわせた「おにしらす」を考えました。パリッと焼いた春巻きの皮で包むアイデアは高校生ならでは。担当になったSさん(18)は、「おいしさとインスタ映えが秘訣」と胸を張ります。
しらすの加工業者「鈴栄」のNさんは。「宮城に来た時は、正直もう魚屋はやらなくてもよいと思っていました。でも、高校生とお会いした時。ああしたい、こうしたいと一生懸命話してくれて、すごく勇気づけられました」。
クラブのリーダーTさん(18)は、「新しい土地で借金までして何んとかがんばりたいと、鈴栄さんから率直な思いを聞きました。その言葉が、ぼくらも何か役に立ちたいと原動力になった」。試作品は閖上の祭りで食べてもらい、「見た目はごちゃごちゃだけどおいしいよ」など、思いもよらない感想や意見を聞けたことも、大きな力になったと言います。業者と漁師、高校生がコラボで生み出した商品です。
クラブの担当教諭Y先生は言います。先生自身、生徒たちが育てていた牛の留め具を外して逃がし、直後に波に飲まれたのを見ていました。
「津波は、彼らから友だちも、牛や馬も、普通の高校生活も奪っていった。被災地はマイナスからの出発だった、だからこそマイナスからのプラスに、大人が〝無理でしょ”と思うことも高校生がやれば時代を動かせるんだよと、生徒たちに話しています」。
震災当時彼らは小学4年生、それぞれ被災の体験をかかえています。宮農での高校生活を終え、さまざまな進路に向かう高校生たち。
Sさんは、「地域の人とつながることでたくさんのことを学びました。将来は農業高校の先生になって、地域を元気にする活動を続けたい」と話します。
Kさん(18)は、人前で話すことが苦手でしたが、震災で幼なじみを亡くした体験の語り部活動を通して、人に伝える大切さを知りました。「JAに就職が決まりました。農作物を加工して付加価値をつけることで農家が安定した収入を得られる、そんな農業を農家さんと一緒に作っていけたらいいな」。
実家が農家のSさん(18)は、農業大学を卒業後は地元に戻って農業を継ぐつもりです。「将来は減農薬じゃなくて、完全に農薬を使わない。そんな農業をしたいです」。
みんなが地域への思いを語る姿に、復興への希望が見えてきます。
Posted by つむたい at 18:35│Comments(0)
│新婦人しんぶん記事 子育て、暮らし、農業体験