2018年03月26日
『いま、学校って 教育カフェ(最終回)』
さて、春休みになりました。風邪引いて卒業式を欠席した娘の風邪をガッツリ引きついで、なかなか治りません。きちんと体を休めなよと優しく言ってもらえるけど、昼からは娘のカウンセリング入ってるし、夜も塾の送迎…。なかなかツライワ…。
今週の新婦人しんぶん☆勝手にピックアップ☆3月29日号
『いま、学校って 村山士郎先生がおじゃまします!教育カフェ(最終回)』
「”学校の優等生”と社会に出たとき生きのこれる子”はちがう気がします。どんな子に育てたら言いか迷います」
こんな率直な意見が出されました。今の学校を見ていると、もっともな意見です。ここには、日本の学校教育が向かっている子ども像と、家庭で求めている子ども増との乖離という根本問題があります。視点を変えると、学力の捉え方にも一因があります。学ぶとは、本来、どのような意味があるのでしょう。
私は、学力を三つの構成要素で捉えています。
第一は、教科の内容に即して、基本的な事柄を覚えたり、習得する学力の構成部分です。漢字、計算、歴史の年号などがあります。
第二は、学習する事柄をその成り立ちや法則に即しながら系統的に理解する(わかる)部分です。2×3の意味がわかったり、歴史では1945年の敗戦を41年の太平洋戦争の開戦や46年の日本国憲法公布との関連で理解することです。
第三は、第一と第二を学力の基礎・基本とするならば、それを自分の生活や生き方に関わらせて、一人ひとりの意味づけや評価をつくり、自分の考えを持つ部分です。この学習が弱いと大人になっても憲法9条の改正がいいのか悪いのか、自分の考えが持てない人が増えていきます。
日本の学校は、学力の第一の要素を主に点数化するので、その結果として、知識が細切れに暗記され、系統的法則的理解がおろそかにされているのです。そして、学力の第二や第三の要素が軽視されています。「学校の成績だけじゃ…」というような考えが生まれるのは当然なのです。
「息子(小5)の担任の先生は、日々の宿題や長期休みの宿題はほとんど見てくれている様子がなく、やる気をなくしてしまいました。先生と話しましたが、『忙しい、忙しい』というばかり。息子は先生を見限ったようです。雑務に追われて子どもたちをちゃんと見てやれない、というのはおかしいのではないのかと思います」
今日、教師たちが多忙化に追われています。それは学級定員を減らしたり、仕事を精選したり、教員を増員することによって改善していかなければなりません。しかし、だからといって、日々の子どもへの基本的指導をおろそかにすることが仕方のないことだとは言えません。大変ですが、先生にがんばっていただかなければなりません。ましてや、子どもから「見限られて」しまっては、教師の仕事は成立しません。
また、次のような発言も出されました。
「4年生の娘が、いじめにあっています。学校に相談すると最初は話を聞いてくれるのですが、肝心なところになると、娘が学校のいろんなルールからはずれていると逆に攻撃されてしまいました。学校のルールから逸脱したらいじめられてもしかたないっていう感じです。転校したいと訴えると、転校するかしないかは教育委員会が決めるものだとはねつけられてしまいました」
子どもや保護者の声をもっとていねいに聞きとって改善策をともに考えていくことが求められているのです。このお母さんの二つの発言の根っこには、子どもや保護者の声が学校に届かないという現実があります。
今日、多くの大学では、学生による授業評価が導入され、その結果が公表されています。授業評価は、教員がその結果を見て、自分の講義を改善していくために用いられています。私は、こうした制度を小・中・高校にも導入する必要があると考えています。そんなことをしたら、とんでもない意見がたくさん出てしまうのではと心配されますが、実際は逆です。常日頃あまり学校にものを言わなかった保護者が冷静な意見を表明する機会になるでしょう。
学校が子どもや保護者の声を聞きとめていく多様な窓口を開いていくことが求められています。子どもと保護者の切実な声に開かれた学校こそ、信頼を高め、子どもたちの安心できる生活空間になっていくでしょう。
今週の新婦人しんぶん☆勝手にピックアップ☆3月29日号
『いま、学校って 村山士郎先生がおじゃまします!教育カフェ(最終回)』
「”学校の優等生”と社会に出たとき生きのこれる子”はちがう気がします。どんな子に育てたら言いか迷います」
こんな率直な意見が出されました。今の学校を見ていると、もっともな意見です。ここには、日本の学校教育が向かっている子ども像と、家庭で求めている子ども増との乖離という根本問題があります。視点を変えると、学力の捉え方にも一因があります。学ぶとは、本来、どのような意味があるのでしょう。
私は、学力を三つの構成要素で捉えています。
第一は、教科の内容に即して、基本的な事柄を覚えたり、習得する学力の構成部分です。漢字、計算、歴史の年号などがあります。
第二は、学習する事柄をその成り立ちや法則に即しながら系統的に理解する(わかる)部分です。2×3の意味がわかったり、歴史では1945年の敗戦を41年の太平洋戦争の開戦や46年の日本国憲法公布との関連で理解することです。
第三は、第一と第二を学力の基礎・基本とするならば、それを自分の生活や生き方に関わらせて、一人ひとりの意味づけや評価をつくり、自分の考えを持つ部分です。この学習が弱いと大人になっても憲法9条の改正がいいのか悪いのか、自分の考えが持てない人が増えていきます。
日本の学校は、学力の第一の要素を主に点数化するので、その結果として、知識が細切れに暗記され、系統的法則的理解がおろそかにされているのです。そして、学力の第二や第三の要素が軽視されています。「学校の成績だけじゃ…」というような考えが生まれるのは当然なのです。
「息子(小5)の担任の先生は、日々の宿題や長期休みの宿題はほとんど見てくれている様子がなく、やる気をなくしてしまいました。先生と話しましたが、『忙しい、忙しい』というばかり。息子は先生を見限ったようです。雑務に追われて子どもたちをちゃんと見てやれない、というのはおかしいのではないのかと思います」
今日、教師たちが多忙化に追われています。それは学級定員を減らしたり、仕事を精選したり、教員を増員することによって改善していかなければなりません。しかし、だからといって、日々の子どもへの基本的指導をおろそかにすることが仕方のないことだとは言えません。大変ですが、先生にがんばっていただかなければなりません。ましてや、子どもから「見限られて」しまっては、教師の仕事は成立しません。
また、次のような発言も出されました。
「4年生の娘が、いじめにあっています。学校に相談すると最初は話を聞いてくれるのですが、肝心なところになると、娘が学校のいろんなルールからはずれていると逆に攻撃されてしまいました。学校のルールから逸脱したらいじめられてもしかたないっていう感じです。転校したいと訴えると、転校するかしないかは教育委員会が決めるものだとはねつけられてしまいました」
子どもや保護者の声をもっとていねいに聞きとって改善策をともに考えていくことが求められているのです。このお母さんの二つの発言の根っこには、子どもや保護者の声が学校に届かないという現実があります。
今日、多くの大学では、学生による授業評価が導入され、その結果が公表されています。授業評価は、教員がその結果を見て、自分の講義を改善していくために用いられています。私は、こうした制度を小・中・高校にも導入する必要があると考えています。そんなことをしたら、とんでもない意見がたくさん出てしまうのではと心配されますが、実際は逆です。常日頃あまり学校にものを言わなかった保護者が冷静な意見を表明する機会になるでしょう。
学校が子どもや保護者の声を聞きとめていく多様な窓口を開いていくことが求められています。子どもと保護者の切実な声に開かれた学校こそ、信頼を高め、子どもたちの安心できる生活空間になっていくでしょう。