2012年06月11日
『南京でみた歴史の真実…慰安婦問題』
今日は土曜の幼稚園行事で代休。婆ちゃんを従えて自転車で大きな公園に暴走しに行きました。
4月から「幼稚園に行かない(;`皿´)」って怒るので大変(T_T)今日も手は新聞仕分け、お口はお悩み相談です。
新婦人しんぶん☆勝手にピックアップ☆6月11日号
『南京でみた歴史の真実』
日本軍『慰安婦』の苦しみ今も
『慰安婦』問題の解決が待ったなしとなるなか、北京、南京両市を訪問しました。
南京大虐殺記念館は、日中戦争当時、中国兵や市民が虐殺・埋葬さるた“万人坑”の跡地に建てられました。
門を入ると、「城壁」「軍刀」の残骸や被害者の「顔」「腕」などの大きなモニュメントが置かれた広場が。ホールへと向かう道は「生き証人たちの銅板路」生存者222人(02年作成当時)の足型が並んでいます。
館内のホールに入ると、崩れ落ちた城壁、堤防が復元され、天井には当時の南京の地図が広がります。たくさん灯る赤い点が、集団虐殺遺跡の地点です。集団虐殺の場所は揚子江のほとりに集中し、おびただしい遺体が投げ入れられ川の水が赤く染まったと言います。
笑いながら首を切ろうとする日本兵、性暴力を受けた後、無理やり裸にされて写真を撮らされた女性たちの表情…、写真の一枚いちまいに胸がえぐられます。
展示コーナーの写真3500枚、物品3000余、記録映画149点のどれもが出所を明記し、陸海空から南京に攻め入り6週間に渡る日本軍の虐殺のすさまじさを伝えています。
日本では、一部の保守勢力から南京大虐殺、日本軍『慰安婦』制度はなかったとの主張が繰り返されますが、この生なましい虐殺の事実を消し去ることはできません。
南京の元慰安婦で名乗り出た一人が楊明貞さんです。彼女は7歳の時、目の前で父親が首を切られ殺され、母親と一緒に切りつけられながら性暴力を受けました。現在、養老院っ暮らしていますが、病気で苦しんでいます。精神的にも大きな打撃を受け、今でも大きな声で叫んだりします。生存者支援の基金をつくり、主に医療支援にあてていますが、日本政府は、被害者に賠償も支援もしていません。
折りしも私たちの訪中の前日(13日)、北京では日中韓の三ヶ国協議が行われていました。日韓首脳会談で李明博大統領は、野田首相に日本軍『慰安婦』問題の解決をあらためて求めました。野田政権は「(1965年の日韓請求権協定で)解決済み」と拒否したまま。しかし、協定を結んだ当時、『慰安婦』問題は明らかになっておらず、対象外でした。昨年8月、韓国最高裁は、“韓国政府が『慰安婦』問題の解決を怠っているのは憲法違反”との決定を下し、大きな外交問題になっています。
そんな中、日本では名古屋市長が「南京虐殺はなかった」と発言し、政府がソウルやアメリカ・ニュー・ジャージー州の『慰安婦』碑の撤去を求めるなどして国際社会のひんしゅくをかっています。
記念館館長は「あなたたちの会や日本の女性たちが、平和を守る活動や『慰安婦』問題に真剣に立ち向かっていることを知っています」「加害国日本に対しても、軍国主義者と兵士・人民を区別しています。未来・平和のために歴史を展示しており、記念館を見終わった後、特に若い世代が希望を持てるよう工夫しています」と記念館の理念を語りました。
笠井会長は、「今年は日中国交回復40年。この間、人や文化、経済の交流がすすみ、日本の調査でも、日中関係は、軍事ではなく外交でと望んでいる人が8割になるなど、人々の意識は変化しています。侵略戦争の事実に向き合い、日本を平和の発信地にし、アジアの平和のためにともに力を合わせたい」と述べ、新婦人のパンフ「日本軍『慰安婦』問題解決のために」を贈りました。
4月から「幼稚園に行かない(;`皿´)」って怒るので大変(T_T)今日も手は新聞仕分け、お口はお悩み相談です。
新婦人しんぶん☆勝手にピックアップ☆6月11日号
『南京でみた歴史の真実』
日本軍『慰安婦』の苦しみ今も
『慰安婦』問題の解決が待ったなしとなるなか、北京、南京両市を訪問しました。
南京大虐殺記念館は、日中戦争当時、中国兵や市民が虐殺・埋葬さるた“万人坑”の跡地に建てられました。
門を入ると、「城壁」「軍刀」の残骸や被害者の「顔」「腕」などの大きなモニュメントが置かれた広場が。ホールへと向かう道は「生き証人たちの銅板路」生存者222人(02年作成当時)の足型が並んでいます。
館内のホールに入ると、崩れ落ちた城壁、堤防が復元され、天井には当時の南京の地図が広がります。たくさん灯る赤い点が、集団虐殺遺跡の地点です。集団虐殺の場所は揚子江のほとりに集中し、おびただしい遺体が投げ入れられ川の水が赤く染まったと言います。
笑いながら首を切ろうとする日本兵、性暴力を受けた後、無理やり裸にされて写真を撮らされた女性たちの表情…、写真の一枚いちまいに胸がえぐられます。
展示コーナーの写真3500枚、物品3000余、記録映画149点のどれもが出所を明記し、陸海空から南京に攻め入り6週間に渡る日本軍の虐殺のすさまじさを伝えています。
日本では、一部の保守勢力から南京大虐殺、日本軍『慰安婦』制度はなかったとの主張が繰り返されますが、この生なましい虐殺の事実を消し去ることはできません。
南京の元慰安婦で名乗り出た一人が楊明貞さんです。彼女は7歳の時、目の前で父親が首を切られ殺され、母親と一緒に切りつけられながら性暴力を受けました。現在、養老院っ暮らしていますが、病気で苦しんでいます。精神的にも大きな打撃を受け、今でも大きな声で叫んだりします。生存者支援の基金をつくり、主に医療支援にあてていますが、日本政府は、被害者に賠償も支援もしていません。
折りしも私たちの訪中の前日(13日)、北京では日中韓の三ヶ国協議が行われていました。日韓首脳会談で李明博大統領は、野田首相に日本軍『慰安婦』問題の解決をあらためて求めました。野田政権は「(1965年の日韓請求権協定で)解決済み」と拒否したまま。しかし、協定を結んだ当時、『慰安婦』問題は明らかになっておらず、対象外でした。昨年8月、韓国最高裁は、“韓国政府が『慰安婦』問題の解決を怠っているのは憲法違反”との決定を下し、大きな外交問題になっています。
そんな中、日本では名古屋市長が「南京虐殺はなかった」と発言し、政府がソウルやアメリカ・ニュー・ジャージー州の『慰安婦』碑の撤去を求めるなどして国際社会のひんしゅくをかっています。
記念館館長は「あなたたちの会や日本の女性たちが、平和を守る活動や『慰安婦』問題に真剣に立ち向かっていることを知っています」「加害国日本に対しても、軍国主義者と兵士・人民を区別しています。未来・平和のために歴史を展示しており、記念館を見終わった後、特に若い世代が希望を持てるよう工夫しています」と記念館の理念を語りました。
笠井会長は、「今年は日中国交回復40年。この間、人や文化、経済の交流がすすみ、日本の調査でも、日中関係は、軍事ではなく外交でと望んでいる人が8割になるなど、人々の意識は変化しています。侵略戦争の事実に向き合い、日本を平和の発信地にし、アジアの平和のためにともに力を合わせたい」と述べ、新婦人のパンフ「日本軍『慰安婦』問題解決のために」を贈りました。