2020年12月21日
『被爆体験集 木の葉のように焼かれて 第24回女性文化賞を受賞』
今日は今年最後の日、しかしいつも以上にバッタバタ。支部ニュースあるし、相談室登校の娘が給食食べに行くと言うから、昼に送って行かないといけないし、常任委員会あるし…で。来年はもう少しうゆとりが欲しいなあ…。
今週の新婦人しんぶん☆勝手にピックアップ☆1月1日号
『被爆体験集 木の葉のように焼かれて 第24回女性文化賞を受賞』
新日本婦人の会広島県本部が56年にわたって発行してきた被爆体験集『木の葉のように焼かれて』。被爆者の思い、核兵器の非人道性を伝え続けてきたとりくみが評価され、同体験集の歴代編集委員会が第24回女性文化賞を受賞しました。
被爆75年の年に受賞の喜び 編集委員 平岡澄代
被爆75年の2020年の10月24日、核兵器禁止条約の発効が決定しました。その数日後、米田佐代子さんから第24回女性文化賞受賞の第一報が広島県本部に届き、県本部にとって2重の喜びとなりました。『木の葉~』は1964年の第1集から2020年の第54集まで発行しています。その歴代の編集委員会が「核なき世界」を発信し、つないできた努力を認めてくださったのです。
新婦人創立から2年後、広島支部では「被爆者の実態調査」を行い、数十ある班のなかに必ず被爆者がいる実態を知り、はじめは会員だけでもいいから手記集を作ろうと話がまとまりました。被爆から十余年、当時の被爆者の状況は、法制度上も現在より厳しいもので、原爆で家族を亡くし、体も心も痛めた被爆者の中には生きることへの希望を失い、自らの命を絶つ人さえ少なくありませんでした。第1集は被爆の実相と原水爆禁止への希望の声をつづった手記集として、編集・発行され、編集委員の名越操さんの手記の文言「木の葉のように焼かれて」が題名になりました。
編集委員は一日の仕事を終えてから、一軒一軒、被爆者の家を訪ね、涙を流しながら聞き書きをしたそうです。
全国の平和を願う人々からの数多くの手紙などに励まされ、それがエネルギーになりました。1960年代はアメリカがべトナムを侵略し、ベトナムでの核兵器使用の危機やアメリカの大量虐殺に対して、ベトナムの女性から告発の手紙が編集部に送られてきました。このことは、『木の葉~』の運動を、ヒロシマ・ナガサキの被爆者だけの問題ではなく、世界の問題だととらえ、活動するきっかけとなりました。
歴代の編集委員は自身も被爆者の方が多かったのですが、少しずつメンバーは入れ替わっています。元編集委員で被爆者の矢野美耶古さんは、「新婦人という組織があったので『木の葉~』を続けることができ」と話されました。
各支部から一人ずつ編集委員を出そうと呼びかけ、支部の平和のつどい・原爆展などについても掲載、さらに若い世代につなげていきたいです。
「生きた証」残す作業 女性史研究者 米田佐代子
編集委員たちは、ひっそりと生きてきた被爆者を一人ひとり訪ねて話を聞き、時には聞き書きのかたちで手記にまとめ、匿名で活字にしました。
編集委員の方たちは、ご自身が被爆者であったり、「被爆二世」の方もおられ、「ここで被爆者のお話を聞き、何も語らずに亡くなった親の思いが分かるようになった」という方、他県から転居した方など、さまざまな年代と生活経験を持つ方たちです。一人ひとりの体験を聞く中で、自分たちも語り部になっていったと言います。ここに「草の根の女性文化」創造の意味があると思います。
被爆体験はみな同じではなく、被爆した場所や家族構成や生活経験をふくめて全部ちがうこと、そして戦後の生活もまたちがうことを掘り起こし、確認し、その事実によって一人ひとりの「生きたあかし」を残すという作業を56年間も続けてきたところがすばらしいと感じています。
『女性文化賞』
助成の文化創造を励まし、支え、感謝を目的として、1997年に詩人の高良留美子さんが創設。2017年から米田佐代子さんが引き継いだ。
今週の新婦人しんぶん☆勝手にピックアップ☆1月1日号
『被爆体験集 木の葉のように焼かれて 第24回女性文化賞を受賞』
新日本婦人の会広島県本部が56年にわたって発行してきた被爆体験集『木の葉のように焼かれて』。被爆者の思い、核兵器の非人道性を伝え続けてきたとりくみが評価され、同体験集の歴代編集委員会が第24回女性文化賞を受賞しました。
被爆75年の年に受賞の喜び 編集委員 平岡澄代
被爆75年の2020年の10月24日、核兵器禁止条約の発効が決定しました。その数日後、米田佐代子さんから第24回女性文化賞受賞の第一報が広島県本部に届き、県本部にとって2重の喜びとなりました。『木の葉~』は1964年の第1集から2020年の第54集まで発行しています。その歴代の編集委員会が「核なき世界」を発信し、つないできた努力を認めてくださったのです。
新婦人創立から2年後、広島支部では「被爆者の実態調査」を行い、数十ある班のなかに必ず被爆者がいる実態を知り、はじめは会員だけでもいいから手記集を作ろうと話がまとまりました。被爆から十余年、当時の被爆者の状況は、法制度上も現在より厳しいもので、原爆で家族を亡くし、体も心も痛めた被爆者の中には生きることへの希望を失い、自らの命を絶つ人さえ少なくありませんでした。第1集は被爆の実相と原水爆禁止への希望の声をつづった手記集として、編集・発行され、編集委員の名越操さんの手記の文言「木の葉のように焼かれて」が題名になりました。
編集委員は一日の仕事を終えてから、一軒一軒、被爆者の家を訪ね、涙を流しながら聞き書きをしたそうです。
全国の平和を願う人々からの数多くの手紙などに励まされ、それがエネルギーになりました。1960年代はアメリカがべトナムを侵略し、ベトナムでの核兵器使用の危機やアメリカの大量虐殺に対して、ベトナムの女性から告発の手紙が編集部に送られてきました。このことは、『木の葉~』の運動を、ヒロシマ・ナガサキの被爆者だけの問題ではなく、世界の問題だととらえ、活動するきっかけとなりました。
歴代の編集委員は自身も被爆者の方が多かったのですが、少しずつメンバーは入れ替わっています。元編集委員で被爆者の矢野美耶古さんは、「新婦人という組織があったので『木の葉~』を続けることができ」と話されました。
各支部から一人ずつ編集委員を出そうと呼びかけ、支部の平和のつどい・原爆展などについても掲載、さらに若い世代につなげていきたいです。
「生きた証」残す作業 女性史研究者 米田佐代子
編集委員たちは、ひっそりと生きてきた被爆者を一人ひとり訪ねて話を聞き、時には聞き書きのかたちで手記にまとめ、匿名で活字にしました。
編集委員の方たちは、ご自身が被爆者であったり、「被爆二世」の方もおられ、「ここで被爆者のお話を聞き、何も語らずに亡くなった親の思いが分かるようになった」という方、他県から転居した方など、さまざまな年代と生活経験を持つ方たちです。一人ひとりの体験を聞く中で、自分たちも語り部になっていったと言います。ここに「草の根の女性文化」創造の意味があると思います。
被爆体験はみな同じではなく、被爆した場所や家族構成や生活経験をふくめて全部ちがうこと、そして戦後の生活もまたちがうことを掘り起こし、確認し、その事実によって一人ひとりの「生きたあかし」を残すという作業を56年間も続けてきたところがすばらしいと感じています。
『女性文化賞』
助成の文化創造を励まし、支え、感謝を目的として、1997年に詩人の高良留美子さんが創設。2017年から米田佐代子さんが引き継いだ。