2019年05月20日
『被爆者の記憶をもとに 高校生が描いた原爆の絵』
土曜日が体育祭で幸せな代休をエンジョイする娘は置いて、登校班の子とうまくいかず暗い顔する息子に付き添って小学校に。子育てって大変だなあ…
今週の新婦人しんぶん☆勝手にピックアップ☆5月23日号
『被爆者の記憶をもとに 高校生が描いた原爆の絵』
「原爆を後世に語り継ぎ、残していくために若い世代が行動を」- 昨年の原水爆禁止世界大会で、広島の高校生が描く「原爆の絵」のとりくみが注目を集めました。その後、徳島、島根、岐阜、山梨など各地の原爆展では、被爆パネルの写真とともに「原爆の絵」を展示するなど、活用が広がっています。
「原爆の絵」にとりくんでいるのは広島市立基町高校創造表現コースの生徒たち。1945年8月6日、広島に原爆が投下された瞬間の街のようすは、ほとんど映像として残っていません。被爆者が高齢化するなかで、「あの日」の記憶を絵画として残したい、被爆証言を聞く人たちにわかりやすく伝わるように絵にしたい、そして絵の制作を通して高校生が被爆者の思いを受け継ぐことができれば…、そんな双方の思いが重なるとりくみです。2008年、広島平和記念資料館が絵画の制作を同校に依頼したことをきっかけに、被爆者と高校生の二人三脚の活動「次世代と描く原爆の絵」が始まり、これまでに126点が製作されています。
生徒たちは被爆者から体験を聞き、何度も打ち合わせをし、思いに寄り添いながら半年~1年かけて「原爆の絵」を描き上げていきます。
燃えさかる炎の熱さ、山積みにされた遺体の臭い…、「真っ赤な夕焼けを見るとあの日の出来事を思い出して今でもつらい。絵の具をそのまま出したような赤だった」という証言をもとに描かれた『8月6日の夜の火災~炎に追われる~』(1枚目)
鋭く差す光、爆音、爆風によって飛び散る窓ガラス…、直後の惨劇を「日の出のような色」で描いたという『閃光』。血まみれの顔で、「だれか、この子にママ(ご飯)食べさせてください」とすがっていた『死んだ我が子を背負う若いお母さん』。助けを求める女性を振り払った場面…どれも言葉だけでは伝わらない、臨場感のある情景が描かれています。被爆の実相を継承するとりくみの一つとして注目されています。
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原爆展で紹介、話題に 静岡支部
毎年「原爆と人間」パネル展をとりくんできた新婦人静岡支部。今年3月の女性会館まつりでは、原爆パネルに加え、高校生が描いた「原爆の絵」を一緒に展示しました。
色鮮やかでインパクトもあり、「ストーリーを感じる」「訴える力があるね」など、絵そのものに魅せられ、何より高校生が描いたということで話題をよび、新鮮に受け止められました。
まつりに参加している子どもたちに「怖いかもしれないけど見てね」と声をかけると、恐るおそる見ていた子どもが友だちを誘って再度見に来たり、何度も足を運んでくれる子どももいました。来場者も昨年の倍近い100人となり、ヒバクシャ国際署名も69人分が集まりました。
県内の被爆二世の会員も被爆者が描いた絵を引き継いでいます。これからも広く活用して、班から被爆の実相を伝える活動をつよめていきたいと相談しています。
Posted by つむたい at 20:37│Comments(0)
│新婦人しんぶん記事 子育て、暮らし、農業体験